ふりかえりの意味

marugoto2007-10-17

少人数ゼミでは必ずふりかえりの時間を設ける。
フィールドワークをやったときにも必ずふりかえり。

2007年6月23日(土)。
少人数ゼミ。2回目のフィールドワーク。
今回は、二丈町深江地区に受け入れてもらい、田植え体験。
ただ、田植え体験とはいえ、皆で一列に並んで、手植えなんていうお遊びではない。
プロの農家の田植機での本格作業をサポート。
田植えは、田植機が発達して、非常にスピードアップした。効率化した。
とはいえ、田植機に使う苗を、運んだり、田植機に積み込んだりと、手作業が必要な部分は多い。
結局、そこにちゃんと人手がいないと、田植えはスピードアップできないのである。
それを学生がお手伝いする。
農家の人は大喜びだったようだ。


学生にとってはどうか。
正直言って、単純作業が多く、つまらない点もある。
しかし、それが
「農業の大変さがわかった。これからはお米一粒も残さないようにします」
「友達がご飯や野菜を食べ残していたら、僕がここに連れてきて農業体験させます」
という学生の感想につながった。


田植え中。
たまに田植機が故障。
うまく苗が植わらない列が生じる。
農家は渋い顔。
学生は、うれしそうに田んぼに入り、手植え。
このコントラストが面白い。
農家のニーズと、学生のニーズの凸凹がうまくはまる。


慣れてくると、遊びの達人達の本領発揮。
農道でパンツ姿になって田んぼに飛び込む学生達。
田植機に女子学生を同乗させ、田植えデートを企画。

農家クンにどうやった?と聞くと
うれしそうに「まっすぐ植えれませ〜ん」
と楽しい答え。


昼食は地元のお母さんたちによる美味しい田舎料理。
1人暮らしをはじめて、まともなものを食べていない学生にとっては、懐かしい味だったようだ。
「ご飯と豚汁は、いくらでもあるよ〜。おかわりしてね〜」
と言っていた、ご飯が足りなくなるほどだった。


二丈町の皆様、本当にありがとうございました。
学生にとって本当に充実して、素晴らしい1日になりました。

このときも、40名の参加者、関係者が輪を作り一人一言ずつ述べた。
さて、このふりかえりの意味である。


先日、あるセミナーに講師として参加した。
プログラムの組み立て方を説明しているとき、別の講師が
「アンケートが実施できない場合は、ふりかえりを実施しましょう」
というような説明をされた。


現実的には、そういうことは多々あり得るが、ふりかえりとアンケートとはその目的が全く異なると、私は考えている。


アンケート。
これは、評価のためである。他己評価。参加者評価。
だからそれは、できるだけ定量的に明らかにできるような質問項目でなければならないし、改善に繋がるような内容でなければならない。


ふりかえり。
その目的1。
漠然とした学びや疑問を、しっかりと受け止め、考え、言葉にする。つまり言語化する。
例えば、田植えをしてなぜか楽しいと感じた。
その理由を考え、言語化し、自分の中に落とし込んでいく。そうすればその経験や学びは、個人の中で概念化、固定化される。
つまりふりかえりとは、言葉を探して、自分の経験や人生の中に固定化していく作業だ。


その目的2。
同じ経験をしても、同じ時間と場所を共有しても、それぞれの感じ方、学びは様々だ。
例えば、田植えをして、A君は、足の裏の泥の心地よさを感じ、Bさんは田んぼの上を走る風の気持ちよさを感じ、C先生はあらためて田んぼで育まれる生き物の多さを実感する。
受け入れ農家のDさんは・・・。
それを、それぞれが発言することで、シェアする。
そうすると何が起こるか。
「あぁ、B君はそんなことを感じてたんだ。たしかにたしかに」
「農家のDさんはそんな想いを持っていたんだ。だから・・・」
つまり多角的な学びの効果が得られるようになり、さらに深まる。


そうした理由から、ふりかえりは、「おとしこみ」とか「わかちあい」とか呼ばれることもある。


こうした意味がある「ふりかえり」だが、大学での教育では全く重視されていない。
というか大学教員がそんなアクティビティとその効果を知らない。
しかし、教育にもちゃんと意識を注いでいる大学教員は、ちゃんと授業にそれを組み込んでいく。
http://d.hatena.ne.jp/yahara/20071015


「50人相手の授業の場合どうするんだ?1人1分で50分だぞ!」
なんて声も聞かれるが、そんな問題はやろうとおもえば工夫次第でいくらでもどうにかなる。
問題は、やろうと思わないことだ。
やれば大学教育が変わる