第4回少ゼミ3

「自分とは、自分と周囲をとりまく関係性の総和である」という言葉で思いましたが、私が“人のため”という概念を理解できないのも、“利他は存在しません”ということばが通らないのも、みんなの中でことばの定義が違うから、というだけなのかもしれないなと思いました。
あと、いつでも、というか、多くのとき、「自分のため」という言葉は悪になり、「人のため」ということばは善になりがちだと思います。
「自分のため」っていうのは悪ではないと思う。「それって自己中だよね」という言葉は悪口になりますが、そうではないです。
ただ順位に表すとそう見えるだけですし、「人のため」が正当化されるのは何故ですか?
自分を犠牲にすることが美化されるのは何故ですか?
それとも結局、自分のメンタル面を正常に保つためではないのですか?よくわかりませんでしたが、すごく面白かったです。
21世紀プログラム1年 女子

今日は環境保全についての話し合いは全くといっていいほどできなかった。
しかし、人間の最も深い事である“考える事”という事については話し合った。
“利己”だの“利他”だのは自分の“考え”に基づいた思考の結果であるので、相手の“考える過程”や“考える理由”などを正しく理解できて初めて大きな問題についての話し合いができるのではないだろうかと思った。
本当にみんな興味深い“考え”を持っていて、その根底にある何かを知りたくなった。
この1コマが、3〜4日分の時間があればと思った。
みんなで、プライベートで集まったりして、酒など飲みながら語り合いたいと本当に思った。
文学部2年 男子

環境保全を誰のために行うかと考えてみて、自分のために行わないようにするのは不可能だと思う。
相手(他の生き物)が生きているから自分もうれしい。
本当に環境を守りたかったら、石油の使用もやめて、エアコンとか電気も使わないで原始人みたいな生活をすると思う。
もし、人口が多すぎることが原因なら、人殺し、自殺だってすると思う。
けど、そこまで自分、人間を犠牲にしないのは、生きたいという気持ちとかがあるからであって、やはり自分のためであると思う。
利他的ってどういうことか?もっと考えたい。
工学部1年 女子

最初の質問、幸福な人生に必要な条件について考えた時は、みんなだったらどういう事を上げるのだろうかという事を少なからず考えながら、ありきたりな回答をしていたように思う。
もちろんそれらが誤っているとは思わないが、その後の質問、葬式でかけられたい言葉を考えている時は、全く他の人の考えなど考えずに真剣に考えていた。
やはり後者の方が自分の確信に近いように思える。
環境保全は何故必要なのか?
誰の為なのか?
自分はこの答えは端的に言えばやはり「自分」の為である。
けれどもこの講義の前後でその「自分」の意味が大きく変化したように思う。
今では「自分」の中に自分以外の人や他の大切なものが、沢山含まれている。
いずれにしても環境保全はしなければならない事はまちがいないと思う。
地球環境は一度破壊してしまえば、取り戻せないものであるからだ。
芸術工学部1年 男子

盛り上がりがわかりますねぇ〜