最終レポート5


法学部2年女子


この少人数ゼミで私は、今、自分が生きていることがどれだけ多くのたくさんのものや人との関係でつながっているのかを思い知らされました。
その関係は、奪ったり、奪われたり、守ったり、守られたり、感謝したり、されたり、食ったり食われたり・・・とたくさんあります。生きていることがどれだけ尊いことなのか、わかってない人はたくさんいます。多くの人が簡単に「死にたい。」と言い、自殺を試みる人がいます。でも、実際に自殺をした人間は悲しまないで、周りの人間に傷を残していきます。実際、私の友人も、自ら命をたってしまった子がいます。「悲しい」という感覚だけでは収まらない初めて覚えた感情でした。怒りや、悲しみや後悔とか、いろいろな感情が生まれましたが、一番強い感情は、「もっとあなたと話をしたかった。」という気持ちでした。死ぬのは憎らしいことです。一方的につながりを切られてしまったからです。先日、このゼミを受けたときにそんなつながりを簡単に忘れてしまっていた自分に気づかされました。現代社会は、よく言われるように、つながりや、つきあいを避ける傾向があるようです。隣で住んでいるひとが誰かわからなかったり、一人暮らしのお年寄りは誰も知らないで死んでいったり、ひきこもってしまったり・・・と自分から社会とのつながりを拒否する人もいます。実習を通してつながりの始まりを創造していく人たちに出会うこともでき、自分の存在と社会のつながりを再認することができました。
この授業では、他の講義と違って、実習が多かったので、それを経て得たものもたくさんあります。一番面倒かつ心に残ったのは、田植えと一品持ち寄りです。大学生活を始めてから、手作りのものを持ち寄って一緒に食べる、ということが、どれだけ貴重で手間のかかることなのかを知りました。一人暮らしの友達の家に行ったとき、冷蔵庫にお茶と酒しか入っていなくて、「何食べて生きてんの?」と聞いたら、「コンビニで買ってくるから、冷蔵庫にはとくに入れるものなんてないんよ。一人でご飯食べるのって寂しいよ。実家生は、ご飯を毎日一人で食べることなんてないからうらやましい」といわれました。料理の準備で材料を買いに行くとき、意外と野菜や乳製品が高くて、こんなに高いんだったらコンビニで一食分の買ってしまう気持ちもわかるなあと思いました。買って食べるのは、準備も後片付けも要らないし、楽です。手間を省くことばかり追求した社会は便利ではあるけれど、それが人間にとって成長や発展の機会をなくすことになるのではないかと思います。手間を省いたら、便利になる、でも、その手間の中には、人間が失ってはいけないものも入っているのではないでしょうか。家族そろってご飯を食べることによって、子供たちは自分が家族という社会の一員であることを学び、自分が一人ではないことを学ぶと思います。そして、みんなで食べるご飯はおいしいということも。私は実家生ですが、大学に入ってから外食が増えて、家族との会話も減っていきました。また、家族も単身赴任や大学進学でばらばらになり、実際母と2人暮らしです。高校のときまで、当たり前のように母が家族3人分のお弁当箱に詰めてくれていて、それが当然のことのように思っていたのに。そのありがたさを、先日持ち寄りの準備をしたときに痛感しました。
最後に、受講生の子たちについて。私は、文型の2年生で、結構アウェーになるかなあと思いましたが、みんなフレンドリーかつ積極的な人たちばかりで、ブレストやグループワークのときも楽しく、笑顔が絶えないことばかりでした。この授業を通して目に見えた形で得たものはそんな彼らと友達になれたことです。そして、生きることの大切さ、グループワークの楽しさ・難しさについて考えさせてくれた、先生方には、本当に感謝しています。このゼミで学んだつながりの大切さを私の周りにいる人にも伝えていきたいと思います。ありがとうございました。