最終レポート15


21CP1年女子


はじめに、こんなにも私の好きなことがふんだんに含まれているゼミを受講できたことは、本当に幸せであった。問題提起をしてディスカッションを行い、アイディアを出したり協力をして解決策を打ち出したり、実践を想定しつつ行われたリスクヘッジ学習、そして極めつけはフィールドワーク体験である。大学でこのような経験が出来るとは思わなかった。毎回の授業を通して、周囲と協力、協調しながら最善の解決策や興味深いプランを打ち出す重要性や、実践型のリーダーシップのとり方、コミュニケーションの必然性などを広く、実感に基づき学ぶことができた。教師だけでなく、生徒が意見を出し、自ら動き、問題や感じたことを言葉に出して表現し、教師と生徒の双方向が盛んな授業はこんなにもおもしろく、充実するものかと驚きさえ感じた。
授業の中で田んぼについての問題をチーム対抗で回答していくことがあった。その問題の中で、“稲を植えてからいつの時点が一番、水の量などに気を使わなくてはいけないか?”という質問があった。私には答えがわからなかった。毎年毎年毎年、田植えから草抜き、稲刈りまで手伝っているのに…。なんだかとてつもなくショックで、自分に軽く失望してしまった。当たり前にあることにもっとしっかり触れなければいけない、もっと自分自身踏み込んで体験していかなければならない、私は何も知らない。そう感じ、気づくことの出来た出来事であった。
そしてなにより、この少人数ゼミでキーになるのは、休日に行われたフィールドワークであろう。百聞は一見にしかず、これに尽きると思う。参加できない回が多くなってしまったことは、本当に残念でしかたがないのだが、私にとって一回の、唐泊で行われた漁業体験(カキの養殖)はすばらしいものとなった。どのような仕事でも、自分自身で体ごと触れてみるということが一番の理解の方法だと再認識した。一日のみの体験ではたいてい楽しいことしか感じられず、つらさ・大変さ、また本当の根底にある魅力まではわからないかもしれない。しかし、漁業が自分のすぐそばにあることなのだということ、彼らの人情味、ライフスタイル、新鮮な食べ物のびっくりするようなおいしさ、食べ物への感謝、自然の尊さ、そして日本の農における問題点、これらは絶対に感じることができる。福岡の中心地のような都会の、マンション暮らしのみでしか生きてきていない人々にとって、決して触れることができないことばかりであろう。刺身は刺身の姿のままで海に泳いでいる。そんな風に思っている子供たちがいてはいけないと思うのだ。
最近においてもやはり、いまだ農業や漁業を、まったく自分とは関係のないことだと考えている人は多いと感じる。つい最近、「農業をやっている人、やろうとする人と結婚できるか。」という質問がひょんなことからおこった。私の周りにいた数名はみな一様に、「んー、やっぱ無理かなあ。」と答えたのだ。収入が低い、安定していないから。とにかく仕事が大変だろう。自分が農業するのは絶対いやだ。etc… 確かに難しい質問であるかもしれないが、とてもやるせない気持ちになってしまった。食の安全性が見直されている中で、みな農業が重要なのはなんとなくわかってはいる。言葉上では尊ぶべきものだと言っている人も少なくない。しかし、とりわけ若い人は、やはり農はどこか遠くで行われているものであり、すぐ隣にあるという認識がほとんどないようにどうしても感じられるのだ。いつになれば、このような農業のイメージ付けが払拭されるのだろうか、と不安な気持ちになってしまった。もちろん一方で、佐藤ゼミを受講している生徒たちもそうであるだろうが、若い人々でも、その重要性を肌で、体験を通して感じている人も増えていると思う。自分も含め、そのような気付きを見出した若者が増え、これからの日本にスタイリッシュでかっこいい、新しい農業の形を作り出してもいいのではないかと思う。
授業を通し、農や環境について新しく学ぶことによって、今まで自分が体験してきたこと、触れてきたものについて、新しい目で見直すことができるようになった。これは自分の中で望んでいた成長であると思う。今年の家での田植えは、より楽しく、自分の手で植えるというどきどきするような魅力を心底感じられる、すばらしいひと時となった。今年も例年のように、若い人たちが手伝いに来てくれたのだが、そうやって土に触れることのおもしろさや感動を伝えられ、共有できることの喜びがいっそう大きくなった。また、この授業は、なにか小さいことでもいい、自分自身がなにか新しい取り組みを興すことができる、と思える原動力にもなりえた。

少人数ゼミを引っ張っていってくれた先生方、一緒に時間を共有することができた仲間、そしてフィールドワークを支えてくれたすべての人々に心から感謝したいと思う。